文翔館(山形市旅篭町3)で6月12日、同館のシンボルである「時計塔」内部が一般公開された。
日本で現在稼働しているものの中では札幌の時計台に次いで2番目に古い同館の時計塔。年に2回開催されている内部の見学ツアーは、毎回募集人数がすぐに定員に達してしまう人気の企画となっている。
ツアーの案内人は、1916(大正5)年の創建当時に時計を考案、製作した阿部彦吉氏の孫にあたる、桝谷二郎さん。84歳の桝谷さんは、同館が「文翔館」として開館した1995年から時計台の保守点検を行っている時計職人だ。
見学会の参加者は屋根裏の長いキャットウオークや、急で狭い階段など、過酷な道のりを汗をかきながら進み、最上部までたどり着いた。四方を直径1メートルの文字盤に囲まれた約2.5畳の小さな部屋には、創建当時から変わらず時を刻み続ける時計装置が設置されている。
桝谷さんは5日に1度ここを訪れ、時計の動力となる分銅を手動で巻き上げる作業をしている。「1日30秒ほどのズレが出るのが当たり前。それを調整することが大変」と桝谷さん。参加者に機械時計の仕組みを丁寧に説明した。
3年越しの思いがかない、今回初めて参加したという山形市内の70代男性は「記事でしか見たことのなかった時計塔を見られてうれしい。山形のものづくりのすごさを感じた。昔からの伝統を守っている姿を誇りに思う」と満足げに話す。
約20年間、時計塔を守り続けてきた桝谷さんは「元気でいるうちはこの仕事をやりつづけたい」と笑顔で語った。